森本安之助さんプロフィール

昭和56年 立命館高等学校卒業
平成 3年 他社での経験を経て、家業である森本錺金具製作所入社
平成15年 森本錺金具製作所代表取締役に就任
平成22年 四代森本安之助を襲名
平成26年 選定保存技術保持者に認定

森本錺金具製作所について

明治10年、初代森本安之助が錺金具製作業を創めて以来、4代に渡り宮内庁・文化庁・神社庁・重要文化財保護課御用達として錺金具を製作している。
錺金具の世界と錺師の技術を広く伝えるべく、展示館と資料館を開設。展示室には、創業以来の作品を展示、資料館には錺金具の図面とマイクロフィルムに納めた索引録を保存。
来年創業150周年を迎える。

※見学を希望する場合は事前連絡が必要 HPはこちら https://morimotokazari.co.jp/ja/

プロローグ

2014年の秋、宇治川の左岸に立ち、木立の間から修復された平等院鳳凰堂を見た時の感動が忘れられない。
横に大きく広がる阿弥陀堂の優美さ、落ち着いた赤褐色の柱が整列し、屋根の上には威風堂々たる一対の鳳凰が西日を受けて輝いている。
それらが阿字池の水面に映る揺らめきのマジックまで効果して……まるでこの世の景色ではないような……はっ!そうか!これが極楽浄土か!と、納得した。
納得……?いや、そんな単語ひとつでは表現できない感動があった。感動しかなかった!

森本錺金具製作所 訪問記!

2026年9月、私たち学年会の3人は下京区にある森本錺金具製作所を目指した。
当主である四代目森本安之助さんは昭和56年立命館高校卒業の清和会員、つまり大先輩である。
まずご案内いただいた場所は資料室で、中央に大きなテーブルが3台並ぶ奥行きのある広い部屋。壁沿いには、ずらりと錺金具が並べられていて、さっと見渡しただけでもその種類の多さに目を見張った。
今日はめくるめく錺金具ワールドを堪能できるに違いないとワクワクしてしまう。

資料室

「どうぞ、座ってや」と柔らかい声に呼ばれて、真ん中のテーブルに腰を下ろしつつ、もうすでに部屋の奥からこちらを向いた大きなお写真が気になって仕方がない!
しかし、まずはご挨拶。今年も新聞広告に協賛いただいたことのお礼、その広告が前日の京都新聞朝刊に掲載されたこと、協賛のお願いのお電話をさせて頂いた、その時にHPで森本錺金具製作所を知り、LINKの先輩取材にぜひお話を伺いたいと感じたこと、それを学年会メンバーに伝えると、なんと森本氏と懇意にしていただいているメンバーがいた!!というような訪問経緯をお伝えした。
そして森本さんの清和会との関わりはどのように始まったのかを質問する。すると、ものの数分で私たちも知っている先生のお名前がボロボロと出てくる。後藤先生、西田先生、日高先生──私たちが現役の頃にベテランだった先生の若い頃をご存知だったり、また、私たちが現役の頃若手だった先生とも、清和会やクラブのOB会を通じてお知り合いだったり。
そうだ、これが清和会の良さだと諸先輩方もおっしゃっていたな、と思い出す。
「なんというか立命館のちょっとバンカラな雰囲気に興味があってな」と森本さん。高校受験で立命館に入学され「先生方に可愛がってもらった学年やったと思う」と振り返られる。同級生の飲み会などは昔からよくあるそうで、そこに清和会の前々会長である布垣さんが参加されることもあったとのこと。
「在学中はよう知らんでも卒業してから仲良くなった人もおるし」というのも立命館あるある。
バリバリの職人さんである森本さんは、業者の集まりの中で同級生を見つけて「お前んとここんな商売やっとったんか」と笑い合ったこともあるそう。
そういった先生や先輩、同級生との関わりの中で、自然と清和会に関わりを持たれてきたのだなということが理解できた。
錺金具でも、神輿、山鉾、時代祭・葵祭・祇園祭と規模が大きくなると関わる人の数が増える。そこに立命館の関係者がいるのだそうだ。(ある建設会社さんとは平安神宮の関係の仕事でご一緒したとのこと!)
「毎年出している京都新聞の広告を見てか、立命館の関係者からの仕事の話がくることもあるしな」ともおっしゃった。

森本さんがテーブルに用意してくださっていた資料の中に子供向けのワークショップの案内があった。そういった活動は長いことされてるんですかと聞くと、「長いことやってます。それと、子供に限らず普及活動をする意味合いでこの部屋もね」と言われ、改めて部屋を見回してみる。一番初めに目についた、森本さんによく似た方の写真がこちらを向いている。
「錺金具を知っている人があまりにも少ないことを先代が残念がってな、もっと知ってもらおうということで、それでこの部屋は全部触ってもらってええようにしてるんや」と言いながら、森本さんはいくつかの錺金具を出してくださった。その一つ一つの感触や重さ、音を体験させていただく。
中でも我々が一際湧いたのは、神楽鈴の音の違いを聞かせていただいた時。機械で作ったものと手で作ったもの、音の違いは素人の私たちの耳にも歴然。手で作られた神楽鈴の音の柔らかさ、心地良さたるや!
「え、ちょっと、もっかい……」とひつこいほどに振らせていただいたのは言うまでもない。

錺金具のデザインについてお聞きすると、それが文化財である場合は変えてはいけないのだというお話を聞かせていただいた。20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮に関わるお仕事などは、昔の通りに、元あるとおりに、ということを粛々とやるのだという。
保存修理というのは、創建当初の姿に復元する。調査研究をする中で新しい発見があれば、それを取り入れて前回のやり方と違う材料や手法が使われることもあるそうだ。
そういったお話を聞きながら、色々な資料を拝見していく。そして見つけてしまった。「錺 かざり」と金の箔押しが施された冊子のちょうど真ん中のページに輝く、黄金の鳳凰。
「これ、平等院の……!」と食いつくと、平成の平等院鳳凰堂の修復の時に、鳳凰の金箔の張り替えをされたこと、その前の昭和の鳳凰の取り替えがあった時も手掛けられたことを教えてくださり胸が熱くなった。胸が熱くなってしまったので、つい、宇治生まれ宇治育ちの平等院愛、鳳凰愛について語ってしまったが、ニコニコ聞いてくださった。ありがたい。

その後、室内に展示されている錺金具の一つひとつを順番に見ながら、これはあれ、それはどれ、とモチーフになっている花の名前や虫の名、使われている素材などを説明していただく。
我々の「これを作るのにどれくらいの時間がかかるのか」といった質問や、「これはアクセサリーにしたい」「帯留にしたら素敵やろうな」「これはすごくカッコいいですね! 」といった感想には笑顔で応じてくださった。
それにしても、これはどこそこの、あれはどこそこの、と出てくる名前が全国の有名な神社仏閣や京都の名だたる建築物ばかり。聞けば聞くほどそこかしこに錺金具が存在することが理解できる。
これは雨風に晒される場所につけるものやからこう作って、こっちは近付いて見るもんやからこう作ってといったお話や、小さな模様ひとつひとつの重要さ、そのひとつを打つ技術を身につけるのにかかる年月の長さ、本当に古いものについては、その“欠け”のようなものでさえ忠実に再現しなくてはならない難しさ……!

展示室

次に案内いただいたのは展示室。資料室では単体として見ていた数々の錺金具が、こちらでは仏壇、鉾、お神輿の「パーツ」としてどのように効果しているのかが良く分かった。
お仏壇が凄かった。先先代が仏壇屋さんから上等の仏壇を作って欲しいと言われ創りはじめるも、技に歯止めが効かなくなった結果ゴージャスにしすぎて引き取ってもらえなくなったというお仏壇だ。資料室で聞いたお話の中で、森本さんのお祖父様にあたる先先代を「ものすご仕事のできる人やってな」と言われてたことを思い出す。まさに仏様の億ション……っ!

ここでも機械で作ったものと手作業のものとで出る色味や輝きの違いを学んだり、四季ある日本の豊かな風土に思いを馳せたり、このサイズの銅板にこの量の彫を打つ作業の遥かさに肩が凝りそうになった我々であった。

作業場

大きなトラックが入る広い駐車場をぬけて、作業場を見学させていただいた。
一階には重さのある大きな機械や、厚さごとに分類、整理された銅板が並んでいる。小部屋として区切られた一画は、水銀を使った仕上げ作業をするための場所だ。歴史ある建築物の錺金具には水銀鍍金をする。その際、有毒な水銀を吸わないよう、職人は排気排水環境が整えられたその部屋で防護マスクや手袋を着用し作業するのだそうだ。
二階に上がる。思わず「わあ!」と声が出た。

夥しい数の工具が並んでいるのだ。これまでのお話で、きっと相当な数の道具を使いこなして作業されているのだろうと予想はしていた。そんな予想など相手にもならないほどの量だった。
何度も説明されていた「もとの通りに」するとはどういうことなのか。寸分違わず保存するというのはどういった作業なのか、とてつもない量の道具が物語っていた。
中には、伊勢神宮遷宮の時にしか使わないものもあるとのこと。(20年に1回しか使わない金槌!!!)
とにかく、「使い捨て」「買い替え」ということがない場所なのだそうだ。古い道具、古い機械で修理部品がなければ、それも作って直して使い続けるのだと。
「子供さんは、物を大事にするということを学んでくれるんとちゃうかな」と森本さんはおっしゃった。

森本さんにはお姉さんが3人おられるのだそうだ。待望の長男、イコール跡継ぎとしての期待を一身に受けて育つなか、決まったレールにただ乗り続けることへの葛藤は当然あったし、家業に戻ってからも一筋縄ではいかなった。先代であるお父様との衝突、古参の職人さん達との軋轢──、その時から理解できた相手の心情もあれば、時間が経ってから納得のいったこともあると言われる。
もう限界だ、やめようと思ったことも何度かあるとお聞きした。そのたびに、あと一日だけやってみようと思って頑張ったのだそうだ。それでダメなら仕方ない、ここまで頑張ってそれでもダメだったのならそれは仕方ない、と。そうして頑張った一日には、必ず何か小さくとも報われることがあったとおっしゃる。その小さな喜びで、またもう一日頑張ってみようと思えたそうだ。

向かい合わせで座れる作業台がふたつ。多い時にはそこに10人ほどの職人が座り、黙々と作業をしていたそうだ。ベテランの職人が引退した今、森本さんの他に3人の若い職人がいるとのこと。昔と違い「今はちゃんと教える」と森本さんは笑われる。ただ、教えられることと教えられないことがあるそうだ。自分で一生懸命考えて、悩んで、試行錯誤しなければ、掴めないことがあると。
また、一生懸命やって、もうここまでしか出来ひんというところまでやったら、それ以上のことは神さんも仏さんも言わはらへんと思うともおっしゃった。そこまで頑張って作業した作品には、その人の味が滲み出るのだそうだ。

見学ツアーを終え、我々は一番初めの資料室に戻った。先程と同様に先代の写真に迎えられる。もう一度部屋を見回していると、森本さんが入り口付近の別の写真を差して「この写真ええやろ」と言われた。写っているのは先代と先先代。
「親父がな、おじいさんに『こんなんあかん』とかなんとか、小言言われてるんやろな。この写真、大好きやねん」
そう笑う森本さんは、「何か壁にぶつかった時、親父やったら、おじいさんやったら、どうやらはるやろう、と考える」のだそうだ。そうしたら、答えに辿り着けるのだと。「そうなんですね」とお聞きしながら、きっとそれは我々が考えるのとは別の次元で展開される、職人の究極の世界なのだろうと思った。

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